今日は、関ケ原までドライブ。
名古屋西ICから長島ICまで高速、そして揖斐川に沿って北上。
そして、途中からR258に入り、駒野から薩摩カイコウズ街道を通って関ケ原へ。
薩摩カイコウズ街道とナビに表示されていたので、何かをネットで調べてみた。
薩摩カイコウズ街道
“カイコウズ”とは学名をアメリカデイゴといい、1966年(昭和41年)に鹿児島県木として制定された樹木である。江戸時代に、度重なる洪水が発生していた輪中の治水対策として、木曽三川を分流させる宝暦治水を薩摩藩が実施したことが縁で1971年(昭和46年)に岐阜県と鹿児島県が姉妹県盟約として締結し、1991年(平成3年)の姉妹県盟約締結20周年事業として、鹿児島県の木であるカイコウズが当路線を中心に海津市の木曽三川公園から関ケ原町までの35kmにわたって植栽された。
2時間弱で、関ケ原町歴史民俗資料館に着いた。
大治南IC→清州JCT→一宮IC→関ケ原ICのルートでいくと、時間は短縮(予想では1時間程度で行けると思う)できるが、料金が1980円必要。
時間は約2倍、料金は約4分の1のルートを選んだ。
関ケ原町歴史民俗資料館は興味深い展示が多かった。
外へ出て、徳川家康最後陣地へ。
芝の上がふわふわで気持ちよかった。
次に向かったのは、石田三成陣地。
笹尾山を5分登った。
石田三成陣地が見えてきた。
ここからは関ケ原が一望できる。
これが、南宮山。
この南宮山には、毛利秀元(西軍)が布陣していたが、先鋒の吉川広家が家康と内通していたため、毛利隊はまったく戦いに参加しなかった。
そして、この山が松尾山。
ここには、西軍を裏切った小早川秀秋の陣地(兵力17000)があった。
西軍最大兵力の小早川が、味方であるはずの西軍を攻撃して、東軍優勢になり、午後4時には東軍の勝利という形で関ケ原の戦いは終わった。
歴史にもしはないが、もし西軍が勝利していたら、今の日本はどうなっていたのだろう。
もちろん徳川260年の平和な時代はなかったということだ。
関ケ原後は、天下を治める英雄不在で、また戦国時代へ戻っていたのかもしれない。
そして、現在の日本は、どうなっていたのかは予想もできない。
笹尾山を下りた。
島左近の陣地があった。
石田三成隊の先鋒が島左近である。
「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」
島左近は、東軍の猛将である黒田長政、田中吉政と戦い、的確な采配で両軍を退けたと言われている。
次に、大谷吉継の陣地に行こうとしたが、道が通行止めのため行けなかったので、予定を変更して、徳川家康最初の陣地である桃配山に行く。
これで、今回は終わり。
関ケ原は、歴史好きにはとても魅力的。
松尾山や南宮山にも登って関ケ原を見下ろしてみたい。
大谷吉継陣地に行けなかったのが残念。
自宅から約2時間(高速代1020円)で来られるのだから、また来る機会もあるだろう。