大垣城は遠かった。渋滞にはまり、2時間かかった。
続日本100名城の一つである大垣城。
1936年に天守が国宝に指定されたが、1945年の空襲により天守が焼失。1959年に天守は鉄筋コンクリートで復元。
美濃大垣藩初代藩主である戸田氏鉄(とだうじかね)の騎馬像。
写真では、表情がちょっとわからない。
最上階から、関ケ原方面の展望。伊吹山も見えた。
大垣城は、1600年の関ケ原の戦いの際には、城主伊藤盛宗が西軍に属していたので、石田三成が入場して、西軍の本拠地になったそうだ。
関ケ原の戦いの前日の9月14日、杭瀬川の戦いがあった。
関ケ原の戦いの前哨戦とも言える杭瀬川の戦いは西軍の勝利となったが、関ケ原の戦いは、東軍の勝利。
西軍が敗北すると、大垣城は東軍に攻囲され落城(大垣城の戦い)。
この大垣城の戦いのようすが「おあん物語」として語り継がれている。
「杭瀬川の戦い」「おあん物語」は知らなかった。
歴史は面白い。