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国宝彦根城

今日は、彦根城に行ってきた。

デジカメの充電は十分。

往路は、東名阪高速に入り、桑名東ICから養老山脈の東を北上し、関ケ原から国道21号を西へひたすら走り、彦根へ。2時間半かかったが、高速料金は590円。

重要文化財の「天秤櫓」

この「廊下橋」は、敵が天守閣に攻めてきたときは、橋を落として時間を稼ぐようになっているらしい。

そして、天守閣

江戸時代初期、現在の滋賀県彦根市金亀町にある彦根山に、鎮西を担う井伊氏の拠点として置かれた平山城(標高50m)である。山は「金亀山(こんきやま)」との異名を持つため、城は金亀城(こんきじょう)ともいう。多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城であった。

明治時代初期の廃城令に伴う破却を免れ、天守が現存する。天守[注 1]と附櫓(つけやぐら)及び多聞櫓(たもんやぐら)の2棟[注 2]が国宝に指定されるほか、安土桃山時代から江戸時代のなど5棟が現存し、国の重要文化財に指定されている。中でも馬屋は重要文化財指定物件として全国的に稀少である。一説では、大隈重信の上奏により1878年(明治11年)に建物が保存されることとなったのだという。

天守が国宝指定された五城の一つに数えられる姫路城とともに遺構をよく遺している城郭で、1992年(平成4年)に日本の世界遺産暫定リストに掲載されたものの、近年の世界遺産登録の厳格化の下、20年以上推薦は見送られて いる。

滋賀県下で唯一、城郭建築が保存された。

引用元:彦根城 - Wikipedia

国宝天守は、彦根城の他に、犬山城、松本城、姫路城、松江城の5城のみ。

天守閣の大きさは、犬山城と同じぐらいの大きさだが、彦根城の方が派手で、美しいような気がする。

天守閣の中に入った。犬山城以上に階段が急だった。降りるとき、係の人に「角度は何度ありますか?」と聞いたら、「62度」だった。もっとあるような気がした。

最上階からの展望は素晴らしかった。

東の方向に伊吹山が見えた。

伊吹山は、岐阜県との県境だが、滋賀県の最高峰であり、日本100名山のひとつ。

そして、南東の方向に、佐和山が見えた。

この山頂にあった佐和山城は石田三成の居城。現在は跡しかない。

関ケ原の戦い後、一時的に井伊直政が入場したが、領民は石田家を井伊家が継いだような錯覚を抱き、前領主と前領民の思慕を断ち切れなかったため、彦根城築城を計画したらしい。

佐和山の頂上まではハイキングコースになっていて、十数年前、跡を見に行ったことがある。機会があれば、また行きたい。

 

彦根城を出た後、隣接する旧大名庭園である玄宮園の中に入った。

玄宮園の原形となる庭園が造営された時期や規模は明確ではないが、江戸時代初期の延宝6年(1678年)に彦根藩4代藩主井伊直興が整備したといわれる。江戸時代後期の文化10年(1813年)には第11代藩主井伊直中の隠居屋敷として再整備され、今日に近い形に整えられたといわれる。玄宮園は御殿部分の「楽々園」に対して名付けられたものであるが、この呼称がいつ頃から用いられるようになったかははっきりしない。

玄宮園の位置は城内の北東部で内濠と琵琶湖の入江(松原内湖)に挟まれた第二郭と呼ばれる曲輪内にあり、築城当初は重臣川手主水の屋敷が建てられていたが、主水が大坂夏の陣で死亡してからは空家となり、寛永元年(1624年)ごろに下屋敷が建設されたといわれる。入江側は1940年代に第二郭の間近まで干拓が進み現在は堀状の溝で囲まれる形となっているが、往時は庭園北側の水門から舟で琵琶湖まで出られるようになっていた。

園内は中国湖南省の洞庭湖にある玄宗皇帝時代)の離宮庭園を参考に、「瀟湘八景」を「近江八景」に置き換えて作庭されたといわれる。天守を借景として、中心の入り組んだ池には4つの島と9つの橋が架かり、畔には臨池閣、鳳翔台、八景亭などの建物が配されている。

 引用元:玄宮園 - Wikipedia 

15代藩主である井伊直弼の銅像。

辞世の句は、「咲きかけし 猛き心の 一房は 散りての後ぞ 世に匂いける」

彦根城は観光客が多かったが、ここは比較的少なく、落ち着いた雰囲気だった。

帰りは、彦根ICから名神高速で帰ってきた(高速代は約2600円)。

彦根城、玄宮園で相当歩いたので、かなり疲れた・・・。

天気も良かったし、有意義な一日だった。